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2012年3月11日 (日)

正直なところ。

生きてこの日を迎えると、震災後二ヶ月目くらいには全く思ってなかったです。
幼少期を沿岸で過ごした私にとって、津波は伝聞でも十二分に精神的圧迫でした。
毎年数回は沿岸に出てたところ、去年は久慈市に一度出向いただけ、海は見ませんでした。
もし被災地を実際に目の当たりにしていたら、何かが折れて、折角拾った命を「資格がない」の一言で否定して、さくっと自殺してたと思います。それをしなかったという事は、いろいろあって精神的なデッドラインが掴めるようになった(なってしまったが正解かも)せいだと思います。

発生直後の話では、専門家見解は「今後一年、余震があるものとして経過を見守る必要がある」で、実際余震は酷かったですが、一年ってのは人間の都合の時間単位であって、あてにならないと思っていたら、どうも福島茨城あたりが慢性的で収まらない傾向。正直貰い揺れをする関東に出向く度に交通機関の乱れを心配せざるを得ずにいます。住んでいる皆さんはなおさらでしょう。

とはいえ「余震少なくなったら部屋片付ける」と思っていたところ、北日本内陸部は通常の揺れのペースに戻ってきた感じがあるので、そろそろなんとかしようとも思っています。


一つ悪い方に驚いた事がありました。
被災地以外での震災の話題が風化したら状況終了、と思っていたら、1年かからないどころか客観的に見た感じ半月もかからず他人事になってました。津波被害の深刻さが戦争より凄惨なレベルであることが浸透していないのは残念なことです。

放射能汚染を過剰に警戒はするのに、被災地を非難して東電を非難しないという全く理解できない言動も散見どころかよく見ます。気が狂ってるのかと。

何らかの理由で日本という国の継続についての決定権を私が掌握した場合、今ならフォッサマグナの向こうは日本から切り離すかもしれない、と深刻に考えた事が何度かありました。もちろん自分と同じ国にいてほしい人は西日本にもたくさんいます。しかし、そうでない人があまりに多すぎる。

多民族でも意識を共有できるが故の国家だとしたら、この国は既に分断されてるように思えてなりません。同じ被災地であるはずの東北と関東という狭いエリアでさえも。

震災でヒビが入ったのは建物だけでなく人心もだと思いました。
人の時間で言う一年目の感想はそんなところです。

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