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2012年2月19日 (日)

人造人間とか数あれど。

昼間ちょっと兄と話をしてた時に、いろいろあって特捜ロボジャンパーソンの話になったのですが。
メタルヒーロー復活が望まれる今、振り返ってみて頂点ってなんだっただろうって話で、兄は(自身が最後に関わった)ビーファイターを挙げていたのですが、私はジャンパーソンを挙げました。

中身が人の強化外骨格という意味ではビーファイターに同意なのですが(特に変身シーン。兄曰く、仏田組のCG担当の方のイメージだと、あの流れるように装着されていく装甲は、昆虫の群れのCGをやったあたりからのインスパイアかも…という話だったそうです。ようは精霊のような存在としての昆虫が集合体として重甲の形を成していく感じ)、ジャンパーソンの好きなところは、とことんプロフェッショナルというか、AIは実装されてるけどあれは完璧にロボット(擬似人格がかりそめ程度でしかない)なところです。メタルヒーロー的主要装備フル装備ってのもありますがw。

ガンギブソンはよくできたAIというか、ギルド出身のロボットのAIは非常に人間的だったと思います。感情で動いている部分が多かったし。メタルヒーロー他作品だと、ジバンは元は人間ですし、メタルダーは人間への憧れを持っていました。兄曰くこの「人への憧れ」というのは大きな分岐点で、最も人に憧れたロボットはたぶん特撮ではロボット刑事Kだろう、と言っていました。しかし彼は自分でその思いを振り切って最後を迎えたと。

でも、ジャンパーソンは違うんです。徹底的に機械。皆が眠りっぱなしになっていい夢を見続けて起きないという話があって、その回の最後、辛い現実に引き戻されたその回のゲストキャラの子供にジャンパーソンは言います、「夢は、しょせん、夢だ」本当にばっさりと。最終回あたりで子供と遊んでるビジュアルがありますが、あれはセーフティプログラムというか、通常時に無難な動作をしているだけなのではと思います。さんざん最終回付近で元々の軍事用スペックに戻すことに博士が危惧したのはまるっきり杞憂で、あれ単に特化したOSに一時的に書き換えて、ビルゴルディ倒したら元に戻してリブートしただけじゃないのかと。
フォージャスティスなのは間違いないんです。むしろ迷いはないはずです。そのように作られているから。ただしその後ろに「ノットフォードリーム」という現実が不文律として存在する。感情で動いてはいない。合理性をもって動いている。

ようはちょっと間違えればこいつはモビルドールやゴーストやスカルガンナーみたいな、究極の人類の敵ですよ、と。そういう危うさを持ったやばい奴に、最後に立ち向かっていったビルゴルディは、逆に感情の塊で、機械の身体を得てまでも人のエゴでジャンパーソン打倒を目指したものの、帯刀さんだった頃に好んでいた飴をビルゴルディになってから口にしなくなっていったあたり、人から離れることで気持ちが衰えていったのが伺えて。帯刀さんはジャンパーソンでなく自分に負けてしまったんだと思っています。散り際にはもう、自分が何なのかさえわからなくなっていたのでは。無慈悲な戦闘機の限界挙動に立ち向かう中で。

プリキュア大好きな私としてはw、帯刀さんを助けるのが本当だったんじゃないか、と今は思います。しかし、終始その「特捜ロボ」という仕様からブレなかったジャンパーソンという強力な「作られし正義」が、ドローンの実用化が進む今考えさせる事が多いように思います。

ガンダムWが大好きですが、テロリストとしてまるで機械のようにセットアップされたヒイロでさえ、人であるが故の感情で最後は動き、戦いに終止符を打ちました。あの結論の対局にジャンパーソンはいるのだと思います。あるいは、比較されるべき作品はアイアンリーガーかもしれません。

万能を身に纏う(およそロボットがやりそうな事全部やりますよね奴はw。ついてないの加速装置くらいかも)ジャンパーソンの正義は、同じ正義でもひどく冷たい正義だと思います。
ビルゴルディとのコントラストについては「偶然じゃない?w」と兄は言っていましたが、たとえそうだとしても、日本の特撮のリスペクト作品たるロボコップという映画への東映なりの回答としては、より米国的な思想を感じずにおれません。

メタルヒーローシリーズからハリウッドに一本持って行ってリメイクするなら断然ジャンパーソンを押します。TVシリーズでは人がプログラムしたが故に人の挙動をまだ保っていましたが、もしかしたら本来の軍用型でプログラムされていたパターンに存在したかもしれない、例えばジャンデジック(銃)を撃つのにわざわざ目でエイムするとか無しで、ジャンデジック二丁で真っ正面を向いたまま他方向迎撃(エクスマキナでブリアレオスがサブマシンガン使ってやってましたね)みたいな事を、もし映画で作るならやってほしいです。その上で、最後子供と遊ぶシーンだけは絶対外さないで欲しいです。間違った大人をプログラムドジャスティスで屠りながら、死ぬ事もなく死を恐れる事もなく当然の如く帰還して、その「物理的な汚れ」を洗浄してOS再導入しただけで何一つ正義から外れていないと自称できるジャンパーソンに、どんな人間に育つかわからない子供たちと遊んでほしいのですよ。
それって、ものすごく怖いじゃないですか。でも、間近にある現実でもあると思うんです。

ジャンパーソンは考える、しかし「思わない」ロボットです。そこが鉄腕アトムから始まったと言える自律型ロボットカルチャーの中で完全に異端です。単純に強さや装備にも惹かれるものがありますが、強烈にシニカルな存在だという点がやっぱり一番惹きつけるものがあります。
奴を心配する人間がいて、奴はその人を守ろうとする。しかしそれは人間の心配や自信の将来への打算といった要素ですらなく、そうできている。それだけ。

力こそ正義って台詞が陳腐化して久しいですが、ジャンパーソンが唯一の体現者であると思います。
その欺瞞の責任は奴にはないんです。全て人間の仕業。
そこですよ。
愛車は「ダーク」ジェイカー。東映の当時の企画さんは、アンチヒーローで行くと決めていたのでは?
今にして思います。
ロマンチックな部分は全て人の妄想で、結果だけ見たらこんなに残酷で、っていう。
帯刀さんはすげぇ悪党ですが、人の尊厳のために戦ったと言えなくもない。
なんて皮肉。そして返り討ち。
スーパーサイエンスネットワーク的には「関わらない」という選択肢もあった筈、というか他の組織との対立から身を守る中で時間をかけてジャンパーソン対策をするのが得策だったでしょうし、ネオギルドのロボットの方が人に寄り添うものとしては高度だったはず。それこそ人と見分けがつかなかったわけで、ジャンパーソンが決して変身しなかったのは人との誤認を避ける、こいつはロボットだと人が見分ける都合ああなってる(なまじ人に化けられるといくらでも冤罪をかけられるから)のと比べると、人の惰弱な倫理と戦ったとも言えるネオギルドが果たして悪だったのかも若干疑問です。ガンギブソン、あんなにいい奴ですし。もし私が傭兵で、ガンギブソンがバディなら、安心して背中を預けますよ。ミスをしても咎めない。しかしジャンパーソンが来たら?私は戦術担当になって自分では戦場に出ません。道具として見てやらないと愛着を持てない気がするから。



ジャンパーソン見たことない人には「そんなに酷いのか」と思われるかもしれません。
そんなことは決してないんです。没入して見てる分には普通にヒーローです。かっこいいです。
しかし…。

その「しかし」こそが、私がジャンパーソン大好きな理由でもあるのですが。
綺麗事で済ませようとしても争いは争いである。
「優しさは 時には 戦う ことだと 言ってるような あいつの背中」
EDのこの歌詞こそが、ジャンパーソンに頼った人間の精神的な「逃げ」そのもので(「ような」ですし)、
「独り何処へ行く」
EDを締めくくるこの言葉だけが真実だと思います。

いいも悪いもリモコン次第の鉄人28号じゃありませんが、全てを受け止めた上で奴を仲間だと思ってたのは、たぶんガンギブソンだけでしょう。博士のあれは作り手が作品に心酔していただけ。アトムの天馬博士と一緒です。ガンギブソンは最初から仲間ではなかったし、博士も途中から登場なので、EDが作られた時点では本当に独り。そして、何処へ行くかはプログラムとセンサーが導くまま。アクティブな殲滅戦をするレベルまでセッティングされてませんから、パッシブに状況を終了させていく、と。
あんなまったり歌われる歌詞でもない気がします。(苦笑)

孤高のロボット、ジャンパーソン。
その正体は人の心の鏡ではないかと、長い時を経てそう思うのです。

余談。
冒頭触れたビーファイターの変身ですが、あのパーツがテンポよく流れるように集合するさまは、本当は円谷の皆さんがキングジョーでやりたかったアイディアだったのだそうです。しかし当時、当然それを実現する術はありませんでした。とはいえそのイメージが頭の中にあんなに昔にできていたというだけで、それはとんでもないエモーショナルなことだと思います。
アニメのようにはいかない世界で仕事をする人たちの執念には、たまに驚きます。

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