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2009年12月20日 (日)

Twitterでえんえん喋った後。

 あ、こっちで書くべきだった、と後悔するここ数日(笑)。
 やっぱり手軽さが違うなぁと痛感。今回の臨時鬱は薬の増量危ないので薬理的対処はしない方向で頑張りましょうと主治医の先生に言われているので、とにかくモチベーションが上がらない。先日の上京キャンセルで、オンライン予約した切符は使う前までキャンセルが容易な状態にしておくべきと学んだので、実はまだコミケ上京時の切符を取ってません。

 ぶっちゃけ「赤い車の会として最後」のコミケ参加、病欠しようかと思ってるとこです;

 正月きっぷで一日だけ上京でもいいかなーとか思ってたりとか。

 人には会いたいですが、他サークルへの興味が身内を除きほぼなくなってるところ、わずかな人数のご挨拶回りに5万とか出費できるほど私ってお金持ちだったっけ、と、素に帰ってしまったわけですよ。それは、たぶんない。出番の日まで10日になりましたが、ペーパーとか無償配布DVD-Rとかぜんぜん手つかずだし。

 というわけで、コミケ行かないかもです。準備会さんにはその場合欠席届ちゃんと出すので(来年はないと思いますが、ドール関係で復帰する可能性ありますからね;手続きはきちんと)チケットの余剰とか出ません。手伝いを申し出てくれたしばさんには本当に申し訳ないですし、リピーターの皆さんにもお詫びをしないと。そしてうちが受かったせいで落ちてしまったサークルさん(メカミリ鉄道ジャンルで落ちた方)にはなんとお詫びしてよいやらです。

 まだ最終決定ではありませんが、だいぶそっちに気持ちが傾いています。
 しかし赤い車の会の今後の行動を完全に停止するわけではないので、近々サークルドットエムエスさんで最初のペーパー出した後、ぼちぼちオンライン展開動こうと思っています。そっちは年度内に必ず。だって、自分でもあのリソース(主に私以外の記事)勿体ないと思いますもの(笑)。

 

 モチベーション低下の波はこのブログにも如実に出ています。で、更新頻度がこんななんでアクセス数がだいぶ減ってます。
 現在、カウントスタート(06年5月18日)から471600ちょいなのですが、モチベーションダウンだけでなく、何かにつけて世論を煽りコメント欄で差別中傷(しかも的外れ)があっても放置というスタンスのココログニュースが編集画面から除去できない現状、実は50万アクセスを機にブログ終了を考えているところです(やめたいならすぐやめりゃいいんですが、きっかけもなく何かができるかというと、何においても私はできませんw)。もっとましな(広告が入らなくて快適に動く)ブログがあれば引っ越しは検討するかもしれませんが、あまりやる気ないかも。でもリソースが勿体ないはこっちにも言えることなので、ココログからの引っ越しができるブログがあればそこに。

 ニフティとの付き合いは長いし、使ってるメールアドレスも16年もの?そろそろ17年?くらいなので愛着はあったんですが、とにかくココログニュースでの数々の事件に対する再三の警鐘をガン無視する姿勢に煮えたんで、プロバイダもおそらく変更します。だってニフティ遅いんだもの;言ってみればお情けで継続していただけなので。次はOCNかなー。

 いろいろ変更手続きめんどくさいですが;「耐え難きを耐える」理由がまるでないので。とりあえずドライバーとしてのモットーであるところの「モラルなき者には教育的指導」に相当することをネットでも実践しようかと。

 で、何度も考えて実践しなかったことですが、50万アクセス達成できた場合、mixiも退会の方向で考えています。牧場とトイボットは惜しいんですが(笑)。あと一部の方の記事が読めないのは悲しい。でもメリットと閉塞感を天秤にかけた時、今はもう、すとーんと閉塞感に傾いてるので(底づき状態)、やめるべきなんではないかと。

 隠居後、WWWでは新規発言はサークルドットエムエスさんとTwitterのみとするつもりです。
「対人の距離感をネット以前に戻したい」、と思う部分があって。
 でもTwitterは小難しいことを言いたがる自称評論家氏の言う細かいとこ全否定した上で、「現状最もバランス感がいいネットソサエティ」とみて応援の意味で継続です。

 この国はネットという馬を乗りこなさず振り回されてるだけなので、法整備という調教が入るまでは私はあまり構いたくない、というのがホンネかもですね。いや、法廷を介した強制介入は実は何度も考えたんですよ。

「下手すりゃ生命だけ残した状態で抹殺される」という恐怖をネットを腐敗させた手合い全てに感じさせるきっかけとしてスケープゴートを立てるべく。幸いにしてそれをやる後ろ盾があるし、確実に勝訴する案件を複数どころか多数握ってるんで、あとは私がその気になるだけなんですが…たぶん報道されないだろうし(都合悪いから)、現在のネットの仕組みだとそういう訴訟があったとネットで報告しても霞がかった噂話にしかならない気がするのとがあって。

 まあ慰謝料で暮らすことは可能になり借りは返せるという意味で無意味じゃないですが、根幹の部分で役立たずで私が潤うだけだとそれ職業訴訟だよなぁと;あまり世間的によろしくない。なのでペンディングしています。暇になったらあらためて考えます。

 

 にしても結構頑張ったアフィリエイトがらみの仕込みがゼロではないけどまず役立たずだったり、WX1買ったら1週間せずに2千円も価格下落して目眩したりとかあってw←いいものなので引き続きモノとしてはプッシュです、2万切ったよ!
 なかなかうまくいかないものだなぁと思います。情報のほとんどがうちから出てる商品とか、メーカーさんが経済支援してほしいとこだったりするんですが(例:Maxpedition/Magforce Jumbo。概ね世界中どのGoogleからでもうちの写真紹介が一番詳細…メーカーよりも…ということになってるんで、だいぶ貢献したはずです)。アフィリエイトだのアソシエイトってシステム的に不完全ですよね。レビュー見ても余所で買われたら意味ないもん。

 AmazonもJPのアソシエイトプログラムすっかり敷居上げちゃったし、うちの利用者も減っちゃったんで、うちではほぼ意味なくなりました。以前は3ヶ月に一度現金収入になってましたが、今年は結局1回でしたね。今月もなかったんで。

 アフィリエイトやアソシエイトで稼いでる人を見ると、自分のコンテンツで稼いでないんですよね、だいたいは(笑)。中には優れた作家さんが自力でのケースもありますが、それは希。まーおこずかい貰えればいいやでやってることとはいえ、自分のコンテンツを食い物にされてることがあってもう嫌だ、というのもブログやる気なくなった主因の1つかもです。私はこのフィールドを遠からず下りますが、その後余所においていろいろ見る人は「情報への対価」を意識してほしいです。自分が欲しいものそこから買うだけでいいんですから(苦笑)。

 情報は人間を幸福にするか、という実験がここ13年(96年~)のWWWというシステム運用全般の真相だとしたら、結論は個人的には「不幸に導いた」だと思います。情報にも質というものがあり、ここのトラフィックではそれは問われないどころかほぼ一元化されている。それはおかしい。なんか最近同じ事言った気がしますが、オフラインではあり得ない流れで情報が動いてる。ようはいい情報をトリアージするシーケンスが業者から個人に移ったわけで、そこで人々は自由を得たわけですが、自由を悪意ある人間に手渡した時の恐怖をまだ理解しきれていない人間が多すぎるというか、とにかくネットソサエティの拡大に必然的に伴うべき「責任」を構築するためのルール作成が全く追いついていないどころかルールを作る気すら感じられないままここに来た、という感じです。
 で、自由に得られる情報が自分の情報であると勘違いした結果、多くの人々が進んだ道は思考放棄だった=人間は退化した、です。(しかしこれは国によって異なるようです、うまく行ってる国もある)

 ここ30年ばかり社会から消失していた「特定のシンパしか使わない蔑称」が、匿名掲示板の普及とともに急速に浸透し、日常的に使われ始めた、という事実も見逃せません。いい言葉の復権はないんですよ。悪い言葉だけ都合良く復活してる。
 それって当然、混乱ないし不快感の流布を狙う人間が「仕組んでる」ことで、今でもオフラインでは堂々と口にできない言葉が大半なんで、あからさまにネット世代の若者を騙す手段に使われてます。しかもまた、うまいタイミング(うますぎるタイミングだと思う)でゆとり教育なんてものもあったので、何の疑いもなく信じられない言葉を書き込む者が平成も20年以上経過した今になって存在するという。狂ってるとしか言いようがないです。

 そういった事を見抜けない思考放棄層が、自分が高い位置にいるつもりになる手段として安易にそういった「危険な死語」を口にするわけで、とりあえず識者であれば「狂人を野放しにしてこのコミュニティは平気なのか」と思った上で何らかの警鐘をちゃんと出すわけですが、それにもテンプレート的に「危険な死語」で思考放棄層の群衆が張り付くので潰される。そういうシーンを何度も目にしました。
 余談ですが、危険な死語の中にはオフラインにおいて現在でも場所によっては「言うと物陰に連れて行かれて下手すれば失踪者リスト入り」のものも「多い」です。プロバイダ責任法の下、訴訟受けて身元割れた直後に失踪という事件がまだ起きてない(表沙汰になってないだけかも)だけまだマシですが、因果応報という言葉は必然で、一方的に攻撃する方法など実は存在しません。

 そのリスクを匿名という物陰で安住できてるつもりの人間がかぶる事があるとしたら、それはわりと突然で、電撃のように一瞬で、だと思います。
 迂闊なことを喋った記憶がある人間には、身の危険を案じておいた方がいいと真剣に忠告します。

 かようなまでに腐敗したオンラインとオフラインが選挙活動のオンライン合法化というかたちでクロスしようとしています。以前は賛成でした。3年ほど前までは。現状はとても賛成できません。(候補者のサイト作成・運営支援が個人的に収入源になる立場であっても、です)

 そういった状態で混沌に巻き込まれない術が何かと考えた時に、結局行き着くのは自主的なオフラインなんですよね(苦笑)。健全に「使いこなせる」人間が出て行くのはおかしいことではありません。悪貨は良貨を駆逐し、水は低きに流れるので。使いこなせる人間が多数派ならこのような現状は出来上がっていないわけですから。

 使いづらいモザイクからネットスケープナビゲーターにフェーズシフトした喜びがこないだのことのようですが、世の中はそうではないです。紳士的な社会から一転、戦時下に転落していく様子を見せつけられた思いです。

 切り離して生きていくとしていつまで安穏とこの国で生きられるかと考えた時、結局悲観的にならざるを得ないのですが。身内の危険も見過ごすのか、と自問している最中ですが、答えは出ていません。自分が大事だとはさほど思わない、むしろこの命で身内を助けたいですが、とりあえずオフラインしてもらった上で、となってしまう気がとてもします。

 個人的な話をすれば、ネットに一元的に関わらない生き方もちゃんとできるのはわかっていますから、ライフスタイルが変化するだけですが、それを余所様に強要はとてもできません。価値観が違うから。

 結局コレ(価値観の相違)に全ての道(事象)がローマの如く通じてしまうわけですが、人類の歴史上これが解消できたことはただの一度もないし、それが無くなることはアイデンティティの喪失でもありますから、諸問題の解決は慎重かつ多元的に行わなければいけないのですが、私にはそれに付き合う気力がもうありません。

 隠居するならちゃんとしよう、と思いつつこのへんでシメ。

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